平和教育で教えるべき事は戦争の悲惨さだけなのか
平和教育は今後どうあるべきなのか。
今回は、吉田裕『日本軍兵士-アジア太平洋戦争の真実』(中央公論新社、2017)を読んで考えたことを書いていく。
戦闘死は少数。悲惨な死は原爆だけではない
約二三〇万人といわれる日本軍将兵の死は実にさまざまな形での無残な死の集積だった。その一つひとつの死に対するこだわりを失ってしまえば、私たちの認識は戦場の現実から確実にかけ離れていくことになる。(p80)
さまざまな形での無残な死とは、具体的にマラリア,結核などによる戦病死・餓死・海没死・特攻死・自殺・処置という名の殺害などである。その他にも、戦争神経症などで多くの兵士が苦しんだ。
学校教育で扱う悲惨さは銃後の場合が多い。ただ、それだけで本当に戦争の悲惨さが伝わるのか。
私たちはまだ戦争の悲惨さすら正しく認識できていないのではないだろうか。
閉ざされた組織の中は、私制裁・排除が起こる
「強力なる軍隊」を作るためには「多少の落伍者、犠牲者」が出るのはやむを得ない(p60)
当時は、組織に適しない「劣等者」は排除すべきが当たり前だったのだ。
また、軍紀を維持するため、上官のストレスを発散するための私制裁も行われた。
閉ざされた組織の中では、現代においても弱者やマイノリティーに対する私制裁・排除は簡単に起こりうると思う。周囲が監視できるような仕組みを作っていかなければならない。
吉本も学校も同じようなものだ
それを現代的な言葉で言えば、パワハラということだろうか。先の吉本騒動では、社長による社員(闇営業問題を起こした芸人=弱者)への対応が問題になった。
学校も同じような環境があるのではないか。閉ざされた空間の中に作り出された小さな社会。その中に存在するイジメやカースト。9年間も同じ仲間で過ごすのだから、とても閉鎖的な環境の中に子供たちは長期間置かれることになる。
戦争はいけないよねとかそんな事で終わらせてはいけない。平和教育によって、戦争の悲惨さ以外にも身近な社会で現実起こりうる問題を浮きぼりにしていかなければならないだろう。