みやしろ町から

大学生が「日本のこれから」を考えるブログ

東京は再び「砂漠化」するのか

「砂漠化」といっても、東京が砂の中に埋もれてしまうわけではない。

東京の砂漠化は高度経済成長期の東京オリンピック開催直前に起こった。人口増加に水の供給が追いつかず、渇水の状態になってしまったのである。だから砂漠化なのだ。

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現在でも渇水は起こっている。ダムの水が干上がってしまいそうな光景をニュースで何度も見ている。それでも私たちが不便なく水を利用ことができるのは、取水制限や調整池、水のリサイクルなどによって徹底した管理がなされているからである。ただ、東京が再び砂漠化する危険性はあるかもしれない。今回は、そんな水にまつわる課題を考える。

 

 

 

水道水は安すぎる

全国の約3割の自治体で水道事業が赤字。こうなると、メンテナンスも手が回らなくなる。結局、子どもたちの世代に借金や修繕というツケを回してしまっているわけです。
 安さを追求していては、持続可能な水道事業が成立しないという課題を抱えているのです。(参考記事より)

この事実を知らない人が多い。毎日のように蛇口から大量の水を使い続けることができるのも、水道水がペットボトル水の1000分の1という破格の安さであるからこそ。安いからこそ水を無駄に使ってしまう現状があるのだろう。水はタダ同然があたりまえになってはいけない。私たちのライフラインであるからこそ、その価値に気付かなければならないのだ。

 

水=媒体?

「水」とはなにか?そんな哲学的な問いに対し、東京大学の沖大幹氏は私たちに示唆を与えてくれる。

そもそも水とは、何なのか。私は、水は汚れを運ぶ「メディア」と考えています。つまり、人の体の老廃物を体の外に運ぶ、服や食器を洗って汚れを運ぶ。水を使うといいますが、量が減るわけではなく、汚れた水になるということです。(参考記事より)

水の価値を正しく理解するために、このように水を捉えるのは大切なことだと思う。たしかに水の大切さを理解するために、頭にバケツを乗せて水を運ぶ少女を題材として使うことは一つの手段だろう。しかしながら、それだけで水の価値は本当に伝わるのだろうか。

水を「メディア」と捉えることにより、私たちが飲めるように水を綺麗にする「浄水」と自然界に出しても問題ないように水を綺麗にしてから「排水」するという具体的な工程が見えてくる。それによって、私たちは初めてその工程にかかるコストや労働から価値を理解することができるのではないだろうか。

私たちが水をの価値を正しく捉えることができれば、東京が再び「砂漠化」することを防ぐことができるのかもしれない。

 

【参考】

  • NewsPicks「世界が注目する水ビジネスの未来」 2019/8/8