みやしろ町から

大学生が「日本のこれから」を考えるブログ

自然保護のあるべき姿とは何か

私が初めてこの本を手に取った時、批判的に読んでいかなければならないと思った。なぜなら外来生物を排除することは当たり前だと思っていたからである。

ただ、本を読み進めていくうちに、自然保護についての違和感がだんだん解消されていく気がした。自然保護・生態系維持のための外来生物排除は人間のワガママでしかないのだろうか?

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私たちにとって美しい自然とは何か

高畑勲監督作品、「平成たぬき合戦ぽんぽこ」は本当の自然を描こうとしている、アンチ宮崎駿作品であるという見方がある。

その解釈は、高畑勲に言わせれば、宮崎作品は自然を美しく描きすぎているという。だからこそ、子供たちがいざ外に出てみると、いや大人でさえ、「ジブリみないな自然」を追い求めるのである。それについては、岡田斗司夫氏が動画で言及している。以下の引用はその中での発言を抜粋したものである。

なぜ平成たぬき合戦ぽんぽこは自然保護がテーマなのに自然を美しく描かないのかと。〔中略〕

自然を過剰に美しく描くっていうのは、高畑(勲監督)に言わせれば人工甘味料なんだよね。ちゃんと描いたら、自然ていうのは美しいし、それで美しいと分かんないんだったら、そいつの見方が悪いってこと

https://m.youtube.com/watch?v=jc5n-OjI2qY&t=2246s〉→引用元の動画はこちら

そして私たちは、自然が常に変化し続けることを認識しなければならない。地球環境が変化すれば、植生も変わるし、その環境に適応できる生物も変わるのだ。その環境に適応できるように進化するより、適した環境のある場所へ移動する方が時間がかからない場合が多い。それは植物も同じである。

往々にして人々は、まるで自然が巨匠の作品、そのままに保っておかなければならない素晴らしい絵画であるかのように行動する。自然が損なわれようとすると、ちょうど傷んだ傑作を修復しようとするように、自然を過去の状態に「復元」しようとするのである。〔p284〕

ある特定の時期の自然環境が、今の環境において最善であるとは限らない。特定の時期における自然環境を過剰に美化し、その状態に復元しようとするのは人間のワガママであるかもしれない。もちろん、それを受け入れたうえで、自然をつくること。例えばビオトープをつくることは構わないだろう。ただ、私たちは自然のありのままの姿もしっかりと受け入れていかなければならない。理想の自然を作りたがっているばかりではいけないのだ。

 

私たちが守るべきものは何か

私たちが守るべきものは昔、その場所で生きていたが、今はいなくなってしまった生物ではないのだ。たしかに、外来生物により在来生物が脅かされるという話はある。ただ、そもそも在来生物は特定の時期にその土地にいた生物を人間が指定しただけともいえる。とりわけ日本が島国であることから、外から入ってくる種を拒絶してしまいがちであるが、、、

生物の変化は、地球上の生命が生き残るための方法である。新しい生息環境や地理的環境に種がやってくるたびに、抵抗するべきものとして扱えば、大抵の場合、失敗に終わり、結局のところ逆効果になるだろう。人間は世界をそのまま固めて保存しようとするのではなく、変化に順応し、変化の方向づけに手を貸さなければならない。〔p263〕

だからといって本書の著者は温室効果ガスの削減を否定していないし、地球環境の急激な変化の根本原因に取り組むことには賛成している。今の現状を「人間が引き起こした新たな大量絶滅ー6度目の大量絶滅」とみる反応に拒絶しているわけではない。ただ、その分6度目の新しい生命の大発生が起こる可能性は期待しているし、その変化を人間は無責任に邪魔してはならないと主張している。

人間の登場によって、生物は容易に世界中を移動できるようになった。かつて世界中にいた大型哺乳類は減少したが、家畜や農耕の発明によって狩猟採取から脱却した。それによって、多くの種は、人間による直接の搾取から逃れ、人間の生きる環境に共存して繁栄を続けることができるようになった。

もちろん、人間が行う生物の生息域の破壊は当然否定されなければならないし、地球規模の急激な環境変化の責任を負い、できる限りのことをしていかねばならない。ただ、そんな人間が起こした急激な変化になんとか対応し、新たな場所で繁栄しようとする外来生物を私たちが否定し、追い出すことが簡単にできるだろうか。自然保護という言葉で、生物多様性や種の繁栄を否定していないか、改めて考え直さなければならない。

そしてまず私たち人間がすべきことは、人間が自然の一部であるということを改めて自認し、自らの種の繁栄のために、将来にわたって地球で生きることができるような、持続的な生産システム・資源利用・環境保護を考え続けていくことだ。それによって、人間と自然保護のあるべき向き合い方が見えてくるかもしれない。

 

なぜわれわれは外来生物を受け入れる必要があるのか

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