みやしろ町から

大学生が「日本のこれから」を考えるブログ

天下の書府の城下町「金沢」へ(一)

9月11日(水)〜9月13日(金)に大学のゼミ合宿で金沢を訪れた。日本近現代史のゼミに所属する私にとって、金沢は加賀百万石の城下町というよりは、文学の街というイメージが強い。

ブログの大テーマからは若干それてしまうが、自身の学びの記録として、金沢を紹介していくことができればと思う。

f:id:tymyh1123:20190916230334j:image

※にし茶屋街にて。なお、今回から何回かにわたって書く金沢関係の記事に掲載する写真は、全て私が撮影したものである。

 

【1日目】

石川四高記念文化交流館⇒にし茶屋街⇒妙立寺(忍者寺)

【2日目】

兼六園金沢城⇒近江町市場⇒金沢蓄音機館⇒泉鏡花記念館⇒ひがし茶屋街

【3日目】

金沢ふるさと偉人館⇒金箔貼り体験かなざわカタニ⇒兼六園(2回目)

 

3日間の日程は以上の通り。最後に兼六園にもう一回行ったのは、2日目に行った時間帯が朝だったので、日の傾きが変わった夕方の兼六園も見てみたいと思ったから。

 

石川四高記念文化交流館

f:id:tymyh1123:20190916233034j:image

※当館の図録(それぞれ500円)

この施設は、明治26年(1893)の落成から昭和25年(1950)の閉校まで、第四高等学校(中学校)として使用され、その後金沢大学が昭和39年(1964)に金沢城内に移転するまでの間、教育の場などとして活用されてきました。

〔石川四高記念館パンフレットより引用〕

石川の三文豪である、泉鏡花徳田秋聲室生犀星をはじめとする、石川県ゆかりの文学者の資料が展示されている。当館の目玉である、泉鏡花出世作の「義血侠血」の決定稿は是非見ておきたい。本文に見られる朱は師尾崎紅葉によるものだが、3枚目以降は尾崎紅葉が全部書いてしまったという。それでも、合作ではなく泉鏡花の作品として後世に残されることになった事実は興味深い。兼六園界隈には四高生が青春を過ごしたその風景が多く残っている。「天下の書府」と呼ばれた金沢市内にその足跡を探してみるのも面白いかもしれない。

 

にし茶屋街

f:id:tymyh1123:20190916232017j:image

にし茶屋街では華やかな芸子が多く活躍し、出格好が美しい2階建ての茶屋建築に老舗割烹が軒を並べ、趣のある一角を作り上げている。

たまたま発見した、「落雁諸江屋 西茶屋菓寮 味和以」さんで、冷やし寒天 柚子みつを頂く。柚子の香りが爽やかであり、寒天の歯ごたえも上品であった。

 

妙立寺(忍者寺)

f:id:tymyh1123:20190918233950j:image

「忍者寺」の異名を持つ正久山/妙立寺が建立された当時は、幕命で3階建以上の建築が禁止されていた。ただ、当山は4階建7層の構造をなしている。

「忍者寺」と呼ばれるゆえんは、本堂の中にある様々な仕掛けにある。落とし穴階段をはじめとするいくつもの隠し階段。伝説の井戸や仕掛け賽銭箱など、見所満載だ。

しかし、忍者の寺として建立したのではなく、幕府からの公儀隠密や外敵の目をあざむくために装備されたもので、堂内のあちこちは迷路のようになっているのである。

〔妙立寺パンフレットより引用〕

堂内はガイド役の方が案内してくださる。あいにくの天候であったが、外国人も含めてたくさんの方がツアーを予約されていた。

 

つづく