みやしろ町から

大学生が「日本のこれから」を考えるブログ

日露友好は本当に可能なのか

日本近現代史において、現在に至るまでの日露関係史は、日露戦争や冷戦,北方領土問題に見られるように、対立関係にあった時間が長い。とはいえ、日露友好を模索しなければならないという実情のなかで、これまで日本の歴史研究者はその理想像を、第一次日露協約から第四次日露協約の時代に求めることが多かった。しかしバールィシェフ、エドワルド氏は、その時代の日露友好は本当の意味での友好ではないと主張する。今回は氏の論文から日露友好の必須条件とは何かを考えていきたい。

 

20世紀ロシア史と日露関係の展望―議論と研究の最前線

20世紀ロシア史と日露関係の展望―議論と研究の最前線

 

※今回参考にする論文は、バールィシェフ、エドワルド「日露友好の必須条件-二十世紀初頭の両国間関係を事例にして-」。なお本記事の引用文は、は全て氏の論文より引用させて頂いた。

 

地理的な非対称性と文明的な疎外性

〔日露間の〕どの軍事的な衝突の場合でも、日本はロシアに比べて絶対に優勢の立場に立つであろう。完全に日本側に有利に働いている地理的な条件を言わないとしても、日本は、その政治的・経済的な活動や研究の約半分が日露関係という視点から行われているという有利な状態にも置かれている。我々ロシア人は、ヨーロッパとの関係が将来的にも優先的な地位にあり続けるから、ロシアの政治的な活動において日本に対して同様な程度での注意を与えることができない。〔p170〕

日本が島国なのに対し、ロシアは実に16ヶ国もの国と陸続きで繋がっていたのである。つまり、ロシア外交にとって日本は極東政策の中の一部分でしかないのだ。現代でこそ東アジアの情勢はロシアにとって重要であるが、20世紀初頭当時の極東への関心は、ヨーロッパ諸国のそれと比べるとそれほど重要ではなかったであろう。

加えて、文明的な疎外性にも注目しなければならない。それはロシアにとって西洋は宗教的・政治的な敵であったという点である。つまり、ロシアにとって自身が野蛮国であることが、正統キリスト教を受け入れないカトリック世界との訣別を意味するのである。一方で、日本にとって西洋はある意味過剰な崇拝対象であり、西洋の近代文明を急速に模倣していった。

そして当時の日露両国は互いにとって常に野蛮国であったが、その認識は異なっていた。神道を始めとする儒教的な精神は西洋と異なる点から、日本はロシア人によって評価されてきた。それに対し、華夷秩序の中のにあった日本は、近代化によって文明国としての自信をつけてからも、非文明国からの反応を、脅威として過剰に認識し続けてしまったのである。これが歴史学用語で言うところの「対露恐怖症」や「ロシアによる復讐戦の脅威」の心理的な背景なのである。

 

日露友好の時代はなかった?

そんな中、日本人が過剰に反応してしまったため、無意味な日露戦争を招き、ロシア国民に不信感を植え付けてしまったと氏は主張する。

第一次世界大戦期の日露同盟という興味深い対象が、これまでロシアであまり注目されてこなかった一因として、確かに、それがロシア革命や内戦という悲劇的な出来事によって見えにくくなっていたことや共産主義イデオロギーの束縛が挙げられるが、ロシア側からすれば、その同盟を「日露友好の理想」としては位置づけ難いからである。むしろ、同時代の日本における「日露友好」の誇張がロシア人の感情を傷つけていたであろう。〔p182〕

この意見には若干懐疑的な見方を示したい。確かに大戦時に日本から経済的・物資的な支援を必要とした。ただ、たとえ表面上であっても友好関係を築き上げてきた過程はロシア人の心を傷つけることを意図してなかっただろうし、ロシア人の一方的な感情をそのまま評価するのは公平性に欠けるように思える。

日露近代史 戦争と平和の百年 (講談社現代新書)

日露近代史 戦争と平和の百年 (講談社現代新書)

 

※本書では主に伊藤博文後藤新平松岡洋右ら政治家を主人公にして、友好関係を築く努力がなされてきた様子が描かれている。新書ではあるが、ラクスマン根室来航からシベリア抑留まで日露近代史を総覧することができる。参考文献も充実しているので、日露近代史を学ぶ人には必読の書である。

 

日露友好は実現不可能?

総括してみれば、日露関係の将来は二十一世紀という新しい状況において、ロシアが国民経済の復興を成し遂げられるか、日本国が自主的な外交路線を打ち出せるか、そして国際体制の改革に対する両国の立場がどれほど一致するかという三つの課題にかかっていると言えよう。明らかなのは、自由主義的なパラダイムが世界を支配するなか、ロシア国民と日本国民との対等な関係を築き上げることは極めて難しいということである。〔p186〕

氏は現状において、(おそらく政治的な意味での)日露友好は難しいと主張する。米露の関係を踏まえれば、日米同盟が継続する以上、日露関係がこれ以上改善する可能性は難しいのかもしれない。

結局のところ、日本が模索すべきなのは文化的・経済的な友好関係を築き上げることが現実的な手段なのだろう。しかしこのままでは、日露最大の懸案事項である北方領土問題は進歩しない。ただ歴史から得られる教訓としては、日露両国にとって互いの国に対する捉え方は、私たちの想像以上に異なっているらしいことなのである。