みやしろ町から

大学生が「日本のこれから」を考えるブログ

「教育実習」再考

私は今年の6月に、母校の中学校で3週間の教育実習を経験させて頂いた。その経験から特筆すべき点をまとめ、考察を行っていきたいと思う。これから教育実習を控えている学生だけでなく、公立中学校の教育現場に興味がある方の参考になればよいと思う。

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新しい社会の授業に向けて

若手の教員を中心に、新しい社会科の授業を模索する試みが続けられている。具体的には、アクティブ・ラーニングを積極的に取り入れた授業である。アクティブ・ラーニングは今のトレンドである。私が実習中に行う授業をつくるにあたり、挑戦的に工夫した所は、導入・問い・展開の三つであった。

まず導入だが、私は授業で最初の数分しかない導入の時間が一番重要であり、難しい部分であると思う。それは導入には二つの重要な役割があると考えるからだ。一つ目は、生徒の興味を引きつけること。二つ目は問いに対して疑問を持たせることである。まず、生徒の興味を引きつけることは当然重要であり、これに失敗すると生徒のやる気が一気に失われてしまう。初頭効果は学校の授業でも生徒に対して過大な影響を与えるのではないだろうか。

また、授業の初めに提示する大きな問いについても、生徒がその問いについて疑問を抱くことが出来るように誘導することが重要であろう。せっかく良い発問を行っても、それが生徒にとって疑問に思う内容でなければ意味がない。授業中に教員が行う発問は、生徒が恐らくこんな疑問を抱くだろうと想像して考えるという、極めて特殊なものなのである。全員が疑問に思うことは難しいかもしれないが、出来るだけ多くの生徒が興味・関心を抱くことの出来るように工夫をしていく必要があると感じた。そしてそれらの課題を達成するためには、生徒の身近にある素材を取り入れたり、常識を覆すような事象を提示したりする必要があるだろう。

例えば、私が研究授業をおこなった「人類の出現と進化」の単元では、始めにサルからヒトへどのように進化するか、体を動かして考えさせた。そのうえで、サルからヒトへ一直線に進化してきたという常識(生徒にとってのイメージ・常識であり、大人にとってのイメージ・常識とは異なることを考慮すべきである)を否定することで、生徒への興味を引きつけていった。

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↑私が授業で用いた実物資料(石器)の写真である。実際の資料を、生徒が手に取れるようにできると興味を引きつけやすいかもしれない。

 

次に問いであるが、生徒が「なぜ?」と疑問を抱くことが出来るような問いを設定することを心掛けた。ただし自分自身でつくった際にうまくいかないことが多かった。教科書に記載されている問いはスッキリとしていて分かりやすい場合が多いのだ。ただし、それが生徒にとって興味を抱くような問いであるかどうかはよく検討しなければならない。

最後に展開であるが、私は授業をつくるにあたって、一時間に教科書の見開き一ページを行うのではなく、横断的に見ることで教科書の内容を再構成するという試みを行った。具体的には、歴史の授業で戦後史を扱う際に、教科書では時系列に沿って構成されている所を、冷戦史・日本から見た国際関係史(独立から東側諸国との関係改善)・領土問題史(明治から戦後まで)という三つに分類して授業を再構成した。私がこのような授業を企画したのは、歴史を語る際に当然テーマ史の観点から歴史的事実を拾い上げていく事実があるからである。

日常の中で歴史について話す際に、果たして教科書を読むように説明するだろうか。時代や空間を横断させながら歴史的事実を再構成していくはずである。細かい時系列ではなく、あるテーマについて、全体的な流れや繋がりを意識させるような授業を行うことが必要ではないかというのが私の考えである。ただし、このような授業を行う場合、学習指導要領から逸脱しないように注意する必要がある。また、義務教育であるので生徒の混乱を防ぐために、丁寧に時系列に沿って進めていくべきだ(テーマ史で授業を再構成すると、時間軸が何度も往復することになってしまう)という意見もある。ただし、歴史に対する理解を深めるために、必ずしも教科書的な丁寧な時系列にこだわる必要はないのではないか?

 

評価をどのように行うのか

アクティブ・ラーニングを取り入れた授業を行う中で、「評価」をどのように行っていくかについては注意をしなければならない。私は授業の中で机間巡視を行っていた。うまく進んでいないグループへのフォローを行っていたのだが、それだけでは不十分であるという。それは、「評価」をすることへの意識であった。最終的に生徒の目に見える形で残るのは、五段階の成績である。授業中の生徒の活動を成績にしっかり反映させることが、これまで以上に重要なことであることに気づかされた。同時に、アクティブ・ラーニングをどう評価していくべきか、新たな課題に直面した。個々の取り組みとグループでの結果をどのように分けて評価すべきか、どこまで細かい点まで生徒を見ることができるのか(フォローとのバランス)など、考えるべきことが多い。学校現場でも模索が続けられることになるだろう。

 

部活動の負担は大きい

教育実習の中で重要なことは、教員の業務を理解することである。すべての業務を三週間の間に見ることはできないだろうが、とりわけ部活動指導は必ず経験することになるだろう。実習校でも教頭先生や教務の先生を含めほとんどの先生方が何かしらの部活動に関わっていらっしゃった。私も中学時代に所属していたソフトテニス部の指導を三週間手伝ったのだが、部活動指導を通して普段の教室や授業中では見ることの出来なかった生徒の様子を見ることができた。その点で、生徒をより良く理解する機会として部活動の時間は重要であろう。

しかしながら、私は部活動指導についてはこれから教員の負担の軽減を目指していくべきであると考えている。教材研究を含む授業準備や生活記録ノートや家庭学習のチェックだけで多くの時間が必要となる。教育実習では先生方が空き時間を使って作業をうまくこなしているように見えた。しかしながら、私の指導教諭は、教材研究にはほとんど時間をかけることが出来ないとおっしゃっていた。社会が加速度的に進歩していく中で、現在の社会に対応する授業にするための教材研究が、今後より一層重要になっていくのは明らかであろう。教員の業務をどのように分担していくべきか、議論を進めていく必要があると思われる。

 

三週間の実習を通して現在の学校現場の現状から、これからあるべき教員の姿を考えることが出来た。教育現場をより良い状態にしていくためにはどうすべきか、これからもブログを通じて発信し続けていきたい。