みやしろ町から

大学生が「日本のこれから」を考えるブログ

消えゆく日本のシャーマン

日本のシャーマニズムについて述べていく。今回取り上げるイタコのようないわゆる民間巫者とよばれる人たちは、普通の宗教者が持つモノ、つまりは宗教の三大要素とされる教義・教団・戒律を持ち合わせていないところに大きな特徴がある。

しかし、民間巫者が宗教者でないというわけではない。なぜなら宗教者はいくつかの分類をすることができるからだ。まず私たちが真っ先にイメージするような、仏教僧侶・キリスト教神父・牧師のような人はプリーストと分類され、彼らは霊的存在に対して一方的に働きかけることをする。また、呪力(不思議な力)を有する道具や呪文を利用する人はマジシャン、そしてこれから主として取り上げる、自ら意図して霊的存在と直接交流する能力をもつ人は「シャーマン」とよばれる。

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シャーマンとは何か

シャーマンとは、例えば『現代宗教辞典』によれば、「通常意識の変異状態(=トランス)において、霊的存在(神霊、精霊、その他)と直接交流しながら、預言、託宣、卜占、治療行為などの役割を果たす呪術‐宗教的職能者。」とされている。また、シャーマンの中でも霊的存在との直接交流のタイプによってさらに分類することができるが、ひとつは霊的存在をシャーマン自身に憑依させる型であり、もうひとつは霊的存在をシャーマンが使役する型である。さらに、前者の型は、霊媒型と預言者型とに分類することができる。そして後者の型は、使役型と脱魂型とに分類することができる。つまりシャーマンは上記の型のなかのいずれかもしくは複数の型の特徴がみられ、これによって便宜的に分類することができる。

 

東北地方のシャーマン

日本最恐の霊場とされる恐山では、毎年大祭行事が行われている。夏期大祭はかつて「地蔵会」として、現世祈祷とともに身近な死者が出会い、これを供養する死者儀礼としての性格を強くもっていたとされるが、その例祭に、おそらく大正時代以降、組織的に関与していたのが「イタコ」とよばれる人たちである。かつては大勢のイタコがそれぞれの場所に陣取り、テントを立てて、イタコ市を形成した。イタコは主に祈祷・卜占・オシラ遊ばせといった巫業を行うが、中でも口寄せが本業である。イタコ市において、イタコは死者の霊を降ろす「死に口」とよばれる口寄せをしたが、遠方の生存者の霊をよせる「生き口」をすることもあったそうだ。

その他にも東北地方のシャーマンは様々な例があるが、前述の分類方法を用いていえば、例えば預言者型および使役型シャーマンの性格を持つ者と霊媒型および脱魂型のシャーマンの性格を持つ者とがコンビを組む場合もあった。ちなみにイタコの口寄せは霊媒型に相当する。

 

シャーマンの意義

イタコは、便宜的にイタコ系シャーマンに分類することができるが、それに対して、カミサマ系シャーマンが存在する。両者の最も大きな違い成巫課程にあり、前者は原則として盲目または弱視の女性が生活の業を得るために、師匠へ弟子入りをした。そこで家事を手伝いながら、経文・唱えごとを習得し、修行の最後に成巫式を行うことによって一人前のイタコとして認められた。ここで重要なことは、差別の目で見られる可能性があるにしろ、盲目という社会的弱者が生きていく一種の民間福祉的役割を果たしていたことにイタコの社会的性格があるということである。

補足を加えると、イタコは祭りの時だけでなく、地元地域の中でも重要な存在であった。彼らは自分の担当する地域の範囲を持っており、これによって他のイタコと干渉し合うことなく仕事をする環境が保証されていた。一方で後者はすべて晴眼者であり男性も少しいた。病気や家庭の悩み事で修行に入り、修行中に神仏と出会い結果としてカミサマとなった。彼らは全国各地で見られる行者さんや拝み屋さんなどと似たような特徴を持ち、イタコと比べてその数は現在でも多くみられる。

最後に、民間巫者たちは社会の中で厳しい立場に置かれながらも、その中で自らの社会的役割を見いだし、力強く生きようとする人たちであったことを忘れはならない。日本のシャーマニズムは消えゆきつつあるが、それは後世へ伝え続けていくべき日本の宗教文化なのである。

 

【参考文献】

  1. 池上良正『民俗宗教と救い ­津軽・沖縄の民間巫者­』(淡交社、1992)
民俗宗教と救い―津軽・沖縄の民間巫者 (日本文化のこころその内と外)

民俗宗教と救い―津軽・沖縄の民間巫者 (日本文化のこころその内と外)