みやしろ町から

大学生が「日本のこれから」を考えるブログ

なぜ明治維新史を修正せねばならないのか【長州篇】

平成30年(2018年)は、明治元年(1868年)から満150年の年であった。まずは少し遡って、安倍晋三首相による平成30年1月1日の年頭所感から以下の言説を引用してみたい。

150年前、明治日本の新たな国創りは、植民地支配の波がアジアに押し寄せる、その大きな危機感と共に、スタートしました。国難とも呼ぶべき危機を克服するため、近代化を一気に推し進める。その原動力となったのは、一人ひとりの日本人です。

一国の首相がこれから目指すべき日本のモデルであると設定するように、明治維新は太平洋戦争期の歴史とは対照的に現在までサクセスストーリー(成功物語)として描かれてきた。しかし、対外危機を強調し、植民地支配の危機感から新しい時代を切り開いていくという明治維新史の描き方は、正しい歴史認識を歪曲させる可能性がある。(※掲載写真はいずれも私が撮影したものである。)

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なぜ明治維新史を修正する必要があるのか

近代史研究者が執筆した明治維新史の叙述は、専門書であろうと、一般書であろうと、ほとんどが数十年、もしくはそれ以上の前の歴史認識に拠っている。(中略)

明治維新の歴史は、いわば近代の起源神話(宮澤誠一『明治維新の再創造』青木書店、二〇〇五年)として、物語のように考証されてきたわけであるが、歴史研究者たちもそれに合致するかのような考証をおこなってきた。戦後になっても、明治維新史の叙述は、その後の研究で明らかになった史実と矛盾することが明らかな場合でも修正されないことが少なくない。また社会も、伝統的な明治維新史の叙述を歓迎してきたところがある。〔参考文献4 p3~4〕

現在でも続く幕末維新史の人気は、新撰組というスターや司馬遼太郎歴史小説家による影響が大きい。ただその本質にあるのは、日本が西洋化に成功し、近代国家の仲間入りを果たしていくという心地よい物語があるのではないだろうか。

 

【本記事を読むにあたって】

私は大学で、『明治維新の国際舞台』(有志舎、2014年)を書いた鵜飼政志氏の講義を受ける機会があった。そのため、本記事の言説も氏の影響を受けている。ただ、歴史は史実から解釈するものであるから、史実は一つでもその解釈は人によって異なる。よって本記事の歴史解釈は絶対的に正しいものではないことに注意されたい。「我々は歴史の事実を知ることはできるが、歴史の真実にはたどり着くことができない」のである。

 

下関戦争(四国連合艦隊下関砲撃事件)を例に

長州藩が下関海峡を通航する欧米の艦隊を砲撃してから約1年後、イギリス・フランス・アメリカ・オランダの四国連合艦隊を下関へ派遣するという下関砲台攻撃を計画した。ロンドンから帰国した伊藤俊輔井上聞多による懇願もあり、開戦までの猶予期間が与えられたが、時間切れとなってしまい戦闘が開始された。ここでは、連合艦隊に対して幕府による水先案内人提供などの協力的な態度もみられることから、単純に外国対日本という構図ではないことに注意しなければならない。この視点を考慮しなければ、単なる対外危機を象徴する事件としての歴史認識しか得られない。戦闘の結果は、連合軍が実質的に勝利を得ることになったが、長州藩の敗北をどのように解釈するのかが問題なのである。

下関戦争における歴史認識として注目すべき点は、長州藩が戦の敗北により攘夷が不可能であることを自覚し、以後開国すべきという考え方に転向していくという認識である。下関戦争は長州藩にとって大きな出来事であったが、明治国家建設の立役者に下関戦争の体験を経験した山口県出身が多く存在することを結びつけるのは都合の良い解釈である。また壇ノ浦では砲台の一部が復元されており、それら跡地の世界遺産登録を目指すような動きも見られるが、日本の近代化の象徴として大砲を位置づけるという発想は、自分の郷土を顕彰するための恣意的な解釈であると受け止めざるをえない。加えて、壇ノ浦砲台跡にある馬関開港百年記念碑についても、毛利家の家史や『防長回天史』を根拠としているようだが、そのような史実は存在していないため、誤った解釈がなされていると考えられる。

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※写真は難攻不落の名城とうたわれた鶴ヶ城会津の歴史は本当に敗者の歴史なのだろうか?

 

明治維新史のサクセスストーリーは行き過ぎた地域顕彰に繋がり、その後の歴史研究に大きな影響を与えることになりかねない。さらに歴史的視野を狭くさせ、謝った解釈をし続けてしまう可能性を生じさせる。特に幕末史はそのような傾向が強いのが現状である。歴史的事象を正しい歴史認識を持って捉えるためには、同時代史的な観点から当時の常識を考えることが重要なのである。次回は、また別の事例を取り上げながら、明治維新期の歴史について誤った認識がなされていることを検証していく。

 

【参考文献】

  1. 下関市編『下関市史 藩政­明治前期』(1964年)
  2. 石井孝『増訂 明治維新の国際的環境』(吉川弘文館、1966年)
  3. 保谷徹『幕末日本と対外戦争の危機­下関戦争の舞台裏』(吉川弘文館、2010年)
  4. 鵜飼政志明治維新の国際舞台』(有志舎、2014年)
明治維新の国際舞台

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