みやしろ町から

大学生が「日本のこれから」を考えるブログ

なぜ明治維新史を修正せねばならないのか【日清関係篇 上】

これから、明治初年における日清関係の展開について、条約調印・批准、琉球・台湾問題に言及しながら概述していく。実は教科書の記述を見ると、日清修好条規は日本と清国の間に結ばれた初めての対等条約となっている。

新政府は,1871(明治4)年,朝鮮が朝貢する清と対等な内容の条約(日清修好条規)を結ぶことで,朝鮮との交渉を進めようとしましたが、うまくいきませんでした。

〔『新編 新しい社会 歴史』(東京書籍、平成27年3月31日検定済)p167〕

しかし実際のところ、双方の思惑を見てみると、それが対等な条約ではないことがわかってくることになる。また、明治維新の日清関係の展開を、琉球・台湾問題と関連させながら概述する試みは、これまであまりなされてこなかった。今回は明治維新期における新しい日清関係史を、2回の記事に渡って概述していく。それによって、その後の対外関係=日清戦争に繋がっていった背景も明らかになっていくだろう。

中国の誕生―東アジアの近代外交と国家形成―

中国の誕生―東アジアの近代外交と国家形成―

 

 

清朝側の思惑

明治初年における日清両国の通交関係の前進は、1870年9月に日本政府が柳原前光清朝に派遣して国交開始・条約締結の希望を申し入れたところから始まる。清朝側が主導権を握ったまま交渉が進められた結果、1871年9月17日に日清修好条規が結ばれるが、それは日清両国が、それぞれの対欧条約に照らし合わせて結んだものであった。

清朝にとってみれば、 これまでの西洋諸国との関係に習って、儀礼・通交抜きで通商のみの関係、つまり互市国として日本と日清修好条規を結ぶことになった。しかし、西洋諸国との関係と異なる点は、清国と朝貢関係にある属国に影響を及ぼす可能性があったことである。 当時の清朝において、日本に対するみかたは軍事的脅威であった。それは倭寇朝鮮出兵というような歴史的記憶や、日本の急速な軍備の西洋化・近代化、また日本列島の地理的位置を踏まえたものであり、日本の朝鮮出兵を警戒していたのである。そのために大陸沿岸や朝鮮半島武力行使することができないような条文を盛り込もうとした。

つまり日清修好条規は清国の立場からしてみれば、日本と西洋に対する警戒感に大きく影響されていた。ただ清朝にとって、列強の脅威に対抗して新しい東アジア秩序を構想しようとする意志はなかった。あくまで清国を中心とする秩序(華夷秩序)の考え方の上にあった。さらに、西洋国際社会に見られるような意味での国家対等観念はなく、また、外交の基礎となる共通認識の構築への努力も存在しなかった。よって日清修好条規にアジア最初の対等条約という様な評価を下すことはできないのである。

世界のなかの日清韓関係史-交隣と属国、自主と独立 (講談社選書メチエ)

世界のなかの日清韓関係史-交隣と属国、自主と独立 (講談社選書メチエ)

 

 

日本側の思惑

一方で日本の立場からすれば、これまでほとんど国交がなかった清国と条約関係・外交関係を結ぶ必要があった。また、当時の明治政府は、中国商人達の地縁・血縁を頼って来日した中国人による、貿易取引上の不正行為や犯罪への対応に苦慮していた。そのため、そのような中国人達の取り締まりを行う事ができるようにしたいという意図を持って条約調印を目指したのである。

ここで、日清修好条規の第二条に対して欧米諸国から疑義が寄せられたことに注目しなければならない。これは日清どちらか一国が第三国から不当な扱いを受けた時は日清が協力して解決に当たるという内容であった。欧米各国からは日清攻守同盟ではないかとの警戒の声があがった。日本側は条約が現在の形態では批准されないことを欧米諸国に通告する事態に迫られた。

f:id:tymyh1123:20191008175239j:image

アジア歴史資料センターhttps://www.jacar.go.jp/index.html〉より、「単行書・大日本国大清国修好条規」のカラーを誰でも閲覧することができる。写真の左側ページに第二条の条文が記述されている。

 

清朝の意図に気付けず

清朝にとって日本と連携する目的はあくまで西洋人を制する一法とするにあって、その実をあげるには、日本も清朝と方向を同じくして、西洋と対立しなければならない。ただ、日本にとってみれば、清朝と協力して西洋と対立する気など全く無かったのだ。そのような日本の利害に相反する清朝側の意図に全権である伊達宗城は気づくことができなかった。結局、第二条への西洋諸国からの批判を受けたことで調印の責任を問われ、伊達宗城は失脚することになる。その後、明治政府は条約批准をいったん拒否し、清国に対し条文の修正を求めていく。そんな最中、台湾で事件が起こるのである。

明治初期の日本と東アジア

明治初期の日本と東アジア

 

 つづく

 

【参考文献・論文】

  1. 石井孝『明治初期の日本と東アジア』(有隣堂、1982年)
  2. 田吉彦「幕末維新期の対清政策と日清修好条規」(『国際政治』139号・2004年、日本国際政治学会)
  3. 岡本隆司『世界の中の日清韓関係史』(講談社、2008年)
  4. 鵜飼政志明治維新の国際舞台』(有志社、2014年)
  5. 岡本隆司『中国の誕生』(名古屋大学出版会、2017年)