みやしろ町から

大学生が「日本のこれから」を考えるブログ

「生涯学習社会」とは何か

生涯学習社会」という言葉は誰しも一度は聞いたことがあるだろう。ただ、その考え方や課題については詳しく知らない人が多いと思われる。今回は、私が大学で受けた「生涯学習論(2単位)」の講義をもとに、生涯学習社会について考えたことをまとめていきたい。

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生涯学習社会とは何か

生涯学習社会という発想の背景には、人生の初期に得た学歴によって人間が評価される学歴社会ではなく、生涯にわたる自由に選択された学習機会で学んだことによって人間を適切に評価する社会を目指すべきという考え方がある。また、義務教育という制度はあるが、人生の初期に学習の時間や機会が集中している状況では現代社会の加速度的変化に対応することができない。そんな中で、国民の一人一人が充実した生活を送るために、教育機会の再配分を行うことによって、個人の全生活にわたって多様な教育の機会を提供することを社会全体で目指していこうとするのが生涯学習社会である。

この社会の実現のためには、ポール・ラングラン(フランスの教育思想家 1910-2003)の主張する水平的統合と垂直的統合が必要で、社会のどこでも、人生の中のどの時期においても教育を受ける機会を得ることのできる社会をつくることを目指していかなければならない。

さらに、その学習の内容は学校教育のようにフォーマルなものでなく、各個人が学びたいこと、学ぶべきと考えることを自発的意思に基づいて行うことが基本であり、自分に合うような手段・方法を自ら選ぶことができるべきであるのだ。

 

生涯学習社会が持つ限界や課題

生涯学習社会は学校教育を終えても学びの機会を得ることが出来る。しかし、それは生涯にわたり学ぶ人が評価される社会であると同時に、常に学んでいかなければ評価されない社会ともいえる。仕事をすることに重きを置いている日本の社会において、必ずしも自分の学びの時間を十分に確保することができるとは限らない。

一方で仕事を終えた高齢者世代の人達はどうだろうか。高齢者のコミュニティの場は少しずつ増えてきている印象だ。ただ、自発的な参加が必要になるので、中には一人暮らしでほとんど外に出ないような、活動的でない高齢者も多いだろう。

これは、若者や働き世代の人達にもいえることで、意欲のある人は様々な学習の機会に参加しているだろうし、そうでない人はなかなか社会の表には出てこない。生涯学習は知識の蓄積をすることができるだけでなく、地域社会とのコミュニティをつくることの出来る場でもあるはずである。そのような側面については社会教育と深く関わっている部分もあるが、私はそのような人達が参加することで初めて生涯学習社会が意味のあるものになっていくのではないかと思う。だから、生涯学習にどのような価値があるのか理解をしてもらい、学びの場に参加させていくにはどうしていけばよいのか考えていく必要があるだろう。

また、再就職の困難さも課題である。例え学業の離脱だとしても、「失敗」と捉えられてしまうことがある。多くの企業は新卒採用を重視しているなかで、そこから再び社会に復帰することが出来るような体制は十分に整っていない。一度失敗しても再復帰出来るような社会づくりは、今の日本社会の大きな問題だ。

さらに、生涯学習は変化する社会に適応するという目的があるが、社会がたくさんの問題を抱えているなかで適応が先行してしまうと、社会の抱える問題が解決されることがなく、そのまま継承する危険性が生じてしまう。時間的、経済的余裕がある人だけでなく、社会で抑圧された人のために生涯学習がなければならないとシェルピは主張しているように、そのような人達を行政やNPOなどが支援していくことが必要だ。また、フレイレが主張するように、そのような人達がどのような状況にあるのか認識させることをしていかなければ、社会の状況を変えることはできない。しかし、お金や人材の問題で支援することの出来る範囲には限界がある。私たちが地域の活動に積極的に参加することで、生涯学習に協力していくことが必要であると思う。