みやしろ町から

大学生が「日本のこれから」を考えるブログ

埼玉県高校入試における「確約制度」の是非を問う

今回は、埼玉県の高校入試における「確約制度」の是非を問うていきたい。そもそも、なぜ私がこの問題に関心があるかというと、私がアルバイトをしていた学習塾で生徒と接している際に、この問題の波を肌で感じるところがあったからである。

結論から言ってしまうと、暫くは現行の制度を存続させていくべきだと思う。しかしながら、教育者の態度は、生徒に対してより意識的になる必要があると思うのである。

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埼玉県の入試システム

私もかつて、高校受験に臨む際、偏差値に振り回されていた。というより、制度が私を振り回していたという表現の方が適当だろう。

そもそも埼玉県の高校入試の制度は非常に特殊なものである。3月に行われる県公立高校入試の前に私立高校の試験が行われるのだが、私立高校の入試に「確約」という制度が存在する。その確約のラインに達しているかどうかは、3年生対象で毎月1回行われる外部業者による模試(北辰テスト)によって判定される。つまり、その試験結果により出る偏差値が基本的な判断基準となり、後は個々で私立高校側との面談を行い、確約をもらうための交渉を行うのである。実際には、偏差値と学校の成績(5段階評価の成績)を元に、確約ラインかどうか判断していく。

1点でも偏差値が足りなければ確約を得ることができない場合もあるので、模試の結果の返却の際にはどこを間違えてしまったのかではなく、偏差値の値をまず気にしていたのを覚えている。確約制度は、生徒の公立高校入試の際の安心確保の希望と早く生徒を確保したいという私立高校の考えがマッチしていることから、双方からの表立つような批判はこれまであまり出てこなかった。

 

偏差値主義の問題点

しかし、潜在的に大きな問題を抱えているのではないかと思われる。それは、それぞれの学校の偏差値が具体的な数値によって定められ、それを参考にして学校選択を行うようになったことに起因するものであり、細かな偏差値による高等学校の分類から生まれた誤解である。

具体的にいえば、工業高校や農業高校、商業高校は偏差値が低いというイメージ。誤解を恐れずにいえば、学力の低い人が行くような学校というイメージを生徒へ暗示的に提供してしまっているという問題である。

現状として、埼玉県では以上に挙げたような専門学校の偏差値が40台に集中しているので、仕方の無い面もあるという見方もできるかもしれない。しかし、例えば偏差値が低いから専門学校を志望するとか、もしくは偏差値が高いから、専門学校を希望する気持ちはあってもあえて避け、とりあえず偏差値の高い高校の普通科へ進学するというような選択をすることは決して望ましい状況ではないと考える。

 

学びの意義を見いだせるか

では、このような状況を少しでも望ましいものにしていくためにはどうすればよいのだろうか。ここでは、解決へのアプローチを制度の改善へと向けてしまうと非現実的な考えとなってしまう可能性があるので、教員や生徒へそのベクトルを向けていきたい。よって、現状の制度の中で教員が生徒へいかにアプローチしていくかを重要な課題と位置づける。

生徒の偏差値に対する意識が学びのスタイルに影響を与えているという現状を踏まえると、例えば、生徒は高得点を取るためにできるだけ効率の良い勉強を追求するようになり、他人との比較をより強く意識するようになった。そしてどういうわけか、学校までもが学力状況調査の結果を比較し過敏に反応するようになってしまった。

以上の点を踏まえた上で、私は生徒に学びの意味をどのように見いださせるかが重要になると考えている。つまり、点数をどのくらい獲得したのではなく、何を学んだのかを大切にしていくことである。よって生徒が学びを実感することができるように、教員は学校での学びを現実世界につなげていく試みを積極的しなければならないかもしれない。社会との関係の中で、学びが生きるような経験をさせることにより生徒の学習への活力に繋げることができるだろう。

また、生徒に対して幅広い選択があることを意識させることも必要であると考える。とりわけ中学生は、世の中に存在する多種多様な職業の一部しか知らない。最近キャリア教育の重要性が指摘され、実践されるようになってきたが、教員は場合によっては行政と協力しながら、積極的に情報を収集し提供していくべきであろう。

そして一直線の学習でなく、時には寄り道をすることも大切であることも訴えていくべきである。学校の登下校時の寄り道は楽しいもので、そこに毎日新たな発見があったことは誰しも経験があるだろう。学びにおいても全く同じことがいえるのである。学びの寄り道は、生徒の興味が教科書を超えた教材へと繋がっていくかもしれない。たとえ非効率だとしても、新たな発見や進歩に喜びを感じる学びはやらされる学習とは違い、生徒の学びを自発的なものにすることができるだろう。

最後に、教員の更なる努力が無ければ状況は改善されることはないと考えられるので、教師間の連携をより重視し、時には地域社会と協力をすることが、必要である。大学生という立場から主張するのはあまりにも勝手なのかもしれないが、これからも望ましい教育のあり方を模索し続けていきたいと思う。

 

※北辰テストのHPは〈https://www.hokushin-t.jp